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2022.08.10
シワシワネーム復権の兆し 「子」のつく名前盛衰記

シワシワネーム復権の兆し 「子」のつく名前盛衰記

 

昨年の2021年は皇室のニュースがマスコミを賑わせた年でした。

そういえば女性皇族は「子」がつく名前の方ばかり、

といまさらながらに気づきます。

 

世の中一般の「子」の割合の実感からは

かけ離れた占有率です。

 

それはなぜなのでしょう。

また、いまとても少なくなっていると感じられる

「子」のつく名前の現況はどのようになっているのでしょうか。

 

 

始まりは高貴な男性や賢い男性を表していた

 

「子」のつく名前の起源は古代の中国

 

「子」の意味は「こども」ですが、

「君子」「王子」のように遣われ、

さらには老子、孔子、孫子、墨子、孟子、韓非子

など「先生」賢い男性という意味を込めた尊称になりました。

 

日本にもそれが伝わり、

小野妹子蘇我馬子、など

飛鳥時代や奈良時代には賢い男性の象徴として

「子」がついていました。

 

その後、

高貴な女性の名前にも「子」がつくようになり、

平安時代には激増。

 

嵯峨天皇が皇女への命名法を改め、

内親王の名前は「◯子」とすると決めました。

 

それ以降そのしきたりが現在の皇室にも残っているというわけです。

 

平安時代には子のつく名前が貴族社会に広まり、

後期になるとほぼすべての貴族の女性が「○子」となりました。

 

ただし、名前に遣える漢字はそう多くないため、

「◯」の部分を自由に読んでいたようです。

 

それを「公家訓(よ)み」といいますが、

たとえば「成子」さん。

 

「なるこ」「しげこ」「あきこ」「のりこ」「ひでこ」「ふさこ」

「まさこ」「みちこ」「よしこ」などなど。

「あきこ」以降は現代のわたしたちには

振り仮名なしには読めないでしょう。

 

 

 

一時は絶滅の危機、明治時代に復活を遂げる

 

 

いま話題の「北条政子」がいた鎌倉時代を経て、

室町時代に入っても

貴族社会では「子」のつく名前のブームが続きました。

 

しかし、世の中が混乱してきて、

成人になる儀式が行われなくなり、

その儀式から名乗ることになっていた

「子」のつく名前を持つ女性も減っていきました。

 

明治時代初期までこの傾向が続き

「◯子」は皇族や上流階級のみとなってしまいます。

 

しかし明治5(1872)年、

前年に成立した戸籍法によって戸籍がつくられ、

すべての国民が名字と名前を持つことになり、

華族(江戸時代までの公家や大名家)の娘の名前は

「○子」として戸籍に登録されました。

 

この流れは明治中期になって一般庶民にまで広がり

「◯子」さんは急増していきます。

 

 

明治のアイドル総選挙が引き金か

 

『「子」のつく名前の誕生』という著書

(橋本淳治と共著・仮説社)を持つ「子」のつく名前の研究家、

井藤伸比古さんによれば、

急増は明治33(1900)年頃に始まったのだとか。

 

そして、そのきっかけは

明治24(1891)年に「浅草凌雲閣」で行われた

東京百美人」という、

いまでいうアイドル総選挙だったのではないかと

考えているそうです。

 

前年オープンした浅草凌雲閣では

エレベーターに故障が頻発、

運転停止となりました。

 

お客を呼び込むための対策として考えられたのが

東京百美人」総選挙。

 

12階までの階段の壁に

エントリーした百美人の写真が展示されていて、

入場券と引き換えの投票券で

何度でも投票できるシステムだったとか。

 

百美人はすべて東京の芸者さんたちでした。

 

そのうち「子」のつく芸名を持つ人は14.7%

一般には「子」のつく名前の女性が

1%しかいなかったなかでの高率です。

 

ファッションリーダーでもあった芸者さんたちは、

高貴なイメージの「子」を先取りしていたのかも知れません。

 

第1回の投票数は4万8000票を超えたとか。

「東京百美人」は大人気を博し、

3回まで毎年開催されました。

 

この間に一般庶民に「子」がつく名前への憧れが広まり、

ブームの引き金となったと井藤さんは考察しています。

 

 

「新しい女」たちもこぞって「子」のつく名前を名乗る

 

芸者さんたちだけではありません。

 

明治期に登場した女性の教育や地位向上のための文化活動に

力を注いだ「新しい女」と呼ばれる人たちも

「子」のつく名前を名乗りました。

 

日本初の女子留学生で津田塾大学の前身、

女子英学塾を創設した津田梅子

『みだれ髪』で女性の恋情をうたった

女流歌人の与謝野晶子

雑誌『青踏』の発起人は平塚明子(あきこ)。

 

それぞれ本名は「むめ」「志よう」「明(はる)」でしたが、

自ら子のつく名前を名乗ったのです。

 

彼女たちにとって「子」のつく名前は、

女性としての誇り高いアイデンティティーの象徴だったと

いえるでしょう。

 

 

昭和中期までお名前ベスト10を独占

明治安田生命では個人保険、

個人年金保険の加入者を対象に

平成元(1989)年から「生まれ年別の名前調査」を

発表していますが、

このなかに大正元(1912)年からの男の子、

女の子の名前ベスト10もあります。

 

これによれば大正9(1920)年から「○子」さんが

ベスト10を独占。

 

昭和に入ってもこれが続きますが、

昭和32(1957)年に「明美」さんが9位にランクインしました。

 

その後8年をかけて「明美」さんはトップに上り詰めます。

 

「○子」女王の40年以上に渡る絶対王政に終止符が打たれたのです。

 

その当時に生まれたこどもたちが親となった

昭和50(1980)年代以降、

こどもの名付けは大きく変化していきました。

いわゆる「キラキラネーム」の隆盛です。

 

それに対し「子」のつく名前は

「シワシワネーム」と呼ばれる憂き目に遭いました。

 

 

「莉子」さんから復権の兆しか

 

しかし近年「莉子」さんという名前が頭をもたげてきました。

 

前出明治安田生命の調査では、

平成28(2016)年に5位でランクインしてから

ベスト10入りを続け、

令和3(2021)年の最新ランキングでも10位に食い込んでいます。

 

「〇子」のつく名前を持つ者にとっては、

「莉子」さんの安定したランクインによる女王復権

が待たれる次第となっております。

 

先祖にはどのような名前の方がいらしたのか、気になりますね。

「〇子」で終わる名前は果たして何名いたのか、

それとも一人も存在せず、斬新な名前でつながっているのか。。。

 

古風な名前は現在の流行りだったり、

名前の歴史の変動も感じられるかもしれません。

 

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参考文献

『日本人のおなまえっ①』

NHK「日本人のおなまえっ」制作班編・集英社インターナショナル発行

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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