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2022.11.24
墨の歴史 奈良の造墨から明治の墨汁、昭和の筆ぺんまで

墨の歴史 奈良の造墨から明治の墨汁、昭和の筆ぺんまで

 

ある小学6年生の男の子が、

夏休みの自由研究で江戸時代までの家系図を

作成した過程を父親が記述したブログがあります。

【実録】小学生が自分で江戸時代までの家系図を作ってみた方法を公開!

【実録】小学生が自分で江戸時代までの家系図を作ってみた方法を公開!

 

父と息子が力を合わせて自分たちのルーツを辿っていく様子に、

読むほうもワクワクしたり、

親の目線になって「よくがんばったね」と

褒めてあげたくなったりするブログです。

 

家系図にご興味のある方には

ぜひともご一読をお勧めします。

 

このブログ冒頭に掲げられた、

男の子本人の手になる

「家系図の作り方」

という冊子の表紙の写真。

 

表題と小学校名と自分の名前が

墨と筆で書かれていることに、

やはり家系図はこれでなくては、

との思いが伝わります。

 

以前の本ブログでは、

過去帳も墨と筆で記すのが

望ましいとされていることに触れました。

 

墨によって残された名前や言葉は、

何代もの間消えることなく、

後世の人々にその情報を伝えてくれます。

 

今回は、

デジタルネイティブな令和の小学生も

その価値を知る「墨」の歴史を紐解いてみましょう。

 

 

 

墨の起源は古代中国


 

原材料は、

松脂や油を焚いて採った煤(すす)

動物の皮や骨などから抽出する膠(にかわ)

香料です。

 

それらを練り、

型に入れて形作った後、

乾燥させて固形の墨とします。

 

完成までに半年以上の時間が

掛かるものもあるそうです。

 

古来の手法がいまでも守られている

優れた工芸品の一つといえるでしょう。

 

その起源はやはり古代中国

 

漢の時代の墳墓から墨書された木簡や竹簡が発掘され、

漆で丸く固めた「墨丸」と呼ばれる墨や

硯があったこともわかっているそうです。

 

朝鮮でも三国時代から質のよい墨が作られていました。

 

奈良東大寺の正倉院には

中国と新羅の墨がいまも所蔵されています。

 

日本に墨作りの技術が伝わったのは

高句麗からで、

奈良時代のことでした。

 

大仏建立の際に

品質のよくない墨が使われたことから、

専門の役職が設けられ、

奈良中期からは本格的な日本の造墨が始まったようです。

 

この頃の墨の原料は松脂を焚いて採った煤(すす)で、

それで作る墨を「松煙墨(しょうえんぼく)」といいます。

 

 

 

奈良に根づいた日本の墨作り

 

松煙墨の時代は800年ほど続きますが、

南北朝時代に荏胡麻(えごま)の油を焚いた煤で作る

「油煙墨(ゆえんぼく)」の製法が確立。

 

南北朝統一後、

室町時代の初めころから

奈良で油煙墨が製造されるようになりました。

 

応仁・文明の乱で痛手を負った京都から、

文人や茶人などの

いまでいう文化人奈良に移った時代でもあり、

上質な墨が求められたのです。

 

また、興福寺

平安時代から江戸時代にかけて

「春日版」と呼ばれる

木版刷りの経典を作成していたために、

油煙墨の需要がありました。

 

その後、

安土桃山時代

荏胡麻油より安価で手に入りやすい

菜種油も原料として用いられるようになり、

造墨の技術は紀州、丹波、四国丸亀にも

広まっていきました。

 

紀州では平安時代から松煙墨である

「藤代墨(ふじしろずみ)」が作られていましたが、

江戸時代に「藤白墨」として再興され、

水墨画に適していると珍重されたそうです。

 

時代が下り、

とくに第二次世界大戦後からは

墨の需要は少なくなってはいるものの、

現在でも日本の墨の90%以上が

奈良県で製造されているそうです。

 

 

墨汁を発明したのは明治時代の小学校の先生

 

書道を習ったことのある人なら、

墨を硯でするときの爽やかな香りを知っていることでしょう。

 

しかし、

あの手間暇はこどもには

なかなか耐えがたいものでもありました。

 

まして冬の寒いときには水が冷たく手もかじかみます。

 

明治時代、

そんなこどもたちを不憫に思った学校の先生がいました。

 

はじめから液体になっている墨を作ろう。

 

そう発起した田口精爾先生は、

後に東京工業大学となる「東京職工学校」で

応用化学を学び、

数年の歳月をかけて「墨汁」を発明、

明治31(1898)年に「開明墨汁」として発売します。

 

現在の開明墨汁は、

石油や石炭から作られるカーボンブラックと膠、

湿潤剤、香料、防腐剤から作られています。

 

小中学校での習字の時間にお世話になった墨汁が、

明治時代の小学校の教室から生まれたものだったとは。

 

田口先生の思いやりと情熱に感謝ですね。

 

 

 

筆ぺん誕生から50年

 

墨汁よりもっと手軽な墨といえば、

ペンに内蔵された墨、すなわち「筆ペン」です。

 

1972年、セーラー万年筆が「筆ペン」を開発しました。

 

それをさらに改良したのが呉竹の「筆ぺん」です。

 

1971年のオイルショック

サインペンの輸出を諦めざるを得なくなった呉竹は、

創業商品である墨と筆記具製造の技術を併せて、

手軽に筆文字が書ける筆記具として「筆ぺん」を発売しました。

 

オイルショックが生んだヒット商品だったわけです。

 

以来半世紀。

冠婚葬祭で必要になって

文房具店やコンビニエンスストアに

筆ペンを買いに走ったことがない人はいない、

と断言してもよいのではないでしょうか。

 

そのたびに買うので、

家に筆ペンが何本もあるという人もいるのではないですか。

 

正倉院の宝物にはじまり、

令和のコンビニエンスストアまで。

 

我が国の墨の歴史は途絶えることがありませんでした。

 

そしてこれからも、

墨はわたしたちの生活にたしかに存在するものと思われます。

 

お習字の上手い下手にこだわらず、

一人心穏やかに墨を摺る時間を持つのもいいですね。

 

墨の文化を楽しみましょう。

 

来年のお正月の書初めには、

墨の歴史に思いを寄せて、

一年の豊富を書くと、さらに特別感がありますね。

 

 

 

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