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2022.09.21
天皇家に名字がない理由と名字のはじまり

 

「称号」と「宮号」


 

天皇が日本の象徴となってから今上天皇で3代目になります。

 

今上天皇は昭和時代には

報道などの際に

「浩宮(ひろのみや)」様と呼ばれていました。

 

これを「称号」といい、

天皇・皇太子の子女にのみつくもので、

上皇は「継宮(つぐのみや)」

お持ちだったそうです。

 

皇太子に即位すると称号はなくなるため、

現在称号をお持ちなのは愛子様だけ。

 

「敬宮(としのみや)」がその称号になります。

 

天皇家には称号以外にも

「宮号(みやごう)」というものもあります。

 

宮号とは、

皇族男子が独立して生計を立てる際に

天皇から賜るもので、

宮家の皇族男子が世襲していくものです。

 

現在存在する宮号は

「三笠宮(みかさのみや」

「常陸宮(ひたちのみや)」

「高円宮(たかまどのみや)」

「秋篠宮(あきしののみや)」の4つ。

 

秋篠宮を除く宮家には

いずれも当主を除いて皇族男子が存在しないため、

現在の皇室典範上では

将来的に断家を余儀なくされることとなっています。

 

 

名字を持たない天皇家、戸籍も選挙権も

 

たとえば「敬宮愛子」様、

秋篠宮祐仁」様というように、

称号」と「宮号」は名前の前につくので、

わたしたちの感覚では「名字」のように思えますが、

名字ではありません。

 

天皇家の方々は名字をお持ちではないのです。

 

上皇后、

皇后はともに民間から嫁がれたので

結婚前は名字をお持ちでしたが、

結婚後は上皇、

天皇と同じく名字がありません。

 

その理由は

「天皇は姓を与える側だったから」

そして

「一つの家系がずっと続いてきた家なので

他の家と区別する必要がないから」だとか。

 

さすが、、、といっていいのかどうか、

押しも押されもしない理由ですね。

 

「姓」については後述します。

 

そして天皇家と皇族には戸籍もなく、

天皇家と皇族だけの

「皇統譜(こうとうふ)」というものに

お名前が記載されています。

 

これを辿ると天照大神まで遡れるということですが、

わたしたち国民が戸籍で精一杯辿れるのが

幕末までということと比べると、

名字をお持ちでないことにも納得がいくような気がします。

 

戸籍がないことと、

日本国憲法によって

「政治的中立の立場」を求められていることによって、

天皇家と皇族の方々には選挙権被選挙権がありません。

 

成人後に嫁いでこられた方は別として、

天皇家や皇族に生まれた方々は

選挙を一度も経験せずに一生を送られるわけですね。

 

 

 

それではわたしたち日本人の名字はいつから始まったもの

 

皇族ではない証ともいえるわたしたち日本人の名字は、

いったいいつから始まったのでしょう。

 

中国の歴史書『三国志』によれば、

邪馬台国の卑弥呼によって送られてきた外交官の名前は

難升米(なしめ)」で

副使は「都市牛利(としごり)」。

漢字は中国による当て字ですが、

いずれにせよ名字と名前の組み合わせではなさそうです。

 

しかし中国ではこのときすでに

姓と名の組み合わせが普通でした。

 

中国との外交を続ける上で、

姓の必要性を感じたのでしょう。

蘇我氏(そがうじ)物部氏(もののべうじ)

いった氏族が登場してきます。

 

当時の日本は

これら有力皇族が

大王(おおきみ)家(天皇家)

支える連合国家でした。

 

豪族たちは政権内でおのおの役割を担当し、

大王家はこれに合わせて「姓」を与えたのでした。

 

土地に由来する姓としては

「出雲氏」「蘇我氏」

政権内での役割に由来する姓としては

「物部氏」「大伴氏」

海外から渡来した者の姓としては

「東漢(やまとのあや)氏」

「秦(はた)氏」などがありました。

 

 

天皇が与えた姓

 

大化の改新を成功させた中臣鎌足には、

天智天皇から「藤原」の姓が与えられました。

 

鎌足の血統はこの後大きな力を持つようになります。

 

そして古代の氏族はじょじょに少なくなり、

「源」「平」「藤原」「橘」が多い時代が訪れるのでした。

 

平安時代以降、

同じ姓から有力者が輩出する傾向が強くなります。

 

藤原鎌足の二男、藤原不比等から

連なる藤原氏が多くの官職を独占、

菅原道真のような反抗勢力は排除され、

朝廷は藤原氏だらけに。

 

関東地方などでは、

桓武平氏清和源氏の一族が

大荘園を開墾し、

分家を乱立させます。

 

朝廷でも他の地方でも、

もう姓だけでは区別がつきません。

 

そこで彼ら自ら「名字」

名乗るようになっていきました。

 

 

名字はどのようにつけられたのか

 

ではその「名字」はどのようにつけられたのでしょうか。

 

一つめの由来は「住んでいる場所」でした。

 

藤原家では九条通りに住んでいるから「九条」

鷹司(たかつかさ)小路に屋敷があるから

「鷹司」というように。

 

時代が進み、

同じ集落に暮らす人の数が増えていくと

地名だけでは区別がつかなくなります。

 

そこで地形を名字に取り入れるようになりました。

 

山のふもとならば「山本」

なかほどならば「山中」

稜線が切れるあたりに住む人は

「山崎」と名乗ったのです。

 

地名や地形でもまだ区別がつかない場合には

方位や方角も使われるようになりました。

 

「坂上」「坂下」

「前田」「奥田」

「上村」「下村」などの名字がこれに当たります。

 

以上の名字のつけかたとは異なるものとして、

職業による名乗りがありました。

 

江戸時代以前には職業は世襲されることが多かったので、

このつけかたが成立したわけです。

 

「犬飼」「大蔵」「村主(すぐり)」などの名字は

職業からつけられたものです。

 

また商人は屋号をつけますが、

屋号をそのまま名字として名乗ったり「屋」を取ったり、

「加賀谷」のように

「屋」「谷」にかえて名乗る場合もありました。

 

 

上の分類を参考に自分の名字を考察すると

先祖がどのような経緯でこれを名乗るに至ったか、

だいたいの想像がつくのではないでしょうか。

 

いますぐからでも

スタートできるルーツ探しの旅をどうぞお楽しみください。

 

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