2021.07.26
戦国武将の家紋と旗印に込められたフィロソフィー。『刀剣乱舞』から始まった歴史ブーム
オンラインゲーム『刀剣乱舞』は、日本の名刀を擬人化した育成シミュレーションゲームです。
2015年にはミュージカル化、翌年舞台化、アニメ化、2019年には実写映画化もされて大ブームになりました。
オンラインゲーム『刀剣乱舞』
2015年に発売されたオンラインゲーム『刀剣乱舞』。
日本の名刀を擬人化した「刀剣男士」を収集し、強化して、歴史上の戦場で敵と戦わせるという育成シミュレーションゲームの一つです。
2015年にはミュージカル化、翌年舞台化、アニメーション化、2019年には実写映画化もされるという大ブームに発展しました。
「刀剣男士」に魅せられた「刀剣女子」は、やがて名刀の持ち主として実際に戦った戦国武将にも興味を持ち「歴女(レキジョ)」人口がさらに増えたようです。
歴史ブームは、これまでにも繰り返し起こってきました。
昭和時代には歴史小説のヒットや大河ドラマ、映画作品などから始まっていたのが、平成以降はゲーム発になっているのも時代の移り変わりですね。
家紋の発祥
刀剣女子の興味が戦国武将の家紋にも及んでいるのは、家紋が戦場において武将の名乗りや敵味方の区別といった大事な役割を担っていたことを考えると当然のことでしょう。
もちろん、家紋はファミリーヒストリーを辿る上でも重要なアイテムとなっています。
家と家系に受け継がれるデザインとしての家紋の発祥はどこにあったのでしょうか。
江戸時代中期の政治家で後に学者となった新井白石は、著書『神書』のなかで、平安時代の貴族の牛車につけられた特定の紋様が家紋の始まり、と考察しています。
『源氏物語』には物見の牛車がひしめき合うなかで、光源氏の正室と恋人の車が争い、誰の車かがわかってしまうという場面がありますが、それも牛車につけられた紋様があってこそのことだったのかも知れません。
新井白石の説以外にも、同じく江戸時代の学者・伊勢貞丈は家紋が使われはじめたのは平安末期の「保元平治の乱」の頃からとし、山鹿素行は鎌倉時代初期に武家が本格的に家のシンボルとして使用したとしています。
いずれにせよ、家紋は平安時代後半から鎌倉時代には生まれ、室町時代にはさまざまな紋様へと広がりを見せていったのだと思われます。
戦国武将の家紋
戦場で華々しく輝いた武将たちの家紋のうち、三人の代表者、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の家紋を見ていきましょう。
織田信長の家紋は「織田木瓜(おだもっこう)」。
「木瓜」は平安時代に公家の徳大寺実能が使っていたといわれ、読んで字のごとくキウリ、きゅうりの断面に似ていますが、鳥の巣を模したともいわれ、子孫繁栄の意味合いがあるのだとか。
織田氏は信長の先祖が越前の朝倉氏から妻を迎えた際に与えられた紋だと伝えられています。
豊臣秀吉の家紋は「太閤桐(たいこうぎり)」。
他の家紋同様、桐紋にもいくつものバリエーションがあり「太閤桐」は「五七の桐」と呼ばれます。
「五」は左右の花弁の数、「七」は中央の花弁の数になります。
他にも「五三の桐」や「九七の桐」などが見られ、このようなバリエーションを含めると家紋の総数は二万にも上るそうです。
徳川家康の家紋は「三つ葉葵」。
テレビや映画の時代劇でもっとも多く映し出された家紋といってもよいのではないでしょうか。
原型は京都の上賀茂神社の神紋「双葉葵」で、徳川家は氏子だから使用したとも、家康が考案したともいわれているそうです。
また、家康は威厳を知らしめるために、葵を使った紋を他家が使うことを厳しく禁じました。
徳川御三家ともが「三つ葉葵」を使いましたが、ディテールはおのおの違っているのだとか。
家康の家紋へのなみなみならぬこだわりが感じられます。
武田信玄を語る四文字「風林火山」
さて、戦国の戦場のシーンで目立つものの一つに「旗印」があります。
「旗印を掲げる」という表現がいまも残るように、それぞれの武将が、家紋や言葉を書いて、味方を鼓舞し敵に挑むシンボルとしました。
武田信玄の「風林火山」が有名です。
「疾(はや)きこと風のごとく、徐(しず)かなること林のごとく、侵掠すること火のごとく、動かざること山のごとし」の略。
現代にたとえるなら、武田信玄のありかたや戦いかたを表すための、極めて有効なキャッチコピーでありスローガンともいえるでしょう。
「みんなは一人のために」を掲げた武将
今回、戦国武将の家紋や旗印を調べるなかでもっとも目を引かれたのが、石田三成の旗印「大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)」です。
意味は「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば、太平の世が訪れる」。
この言葉でなにかを思い出しませんか。
そう「一人はみんなのために、みんなは一人のために」「One for All, All for One」。
ラグビーの日本代表の合言葉で有名になりましたが、文学や映画が好きな人ならアレクサンドル・デュマの『三銃士』をすぐに連想することでしょう。
1600年関ヶ原の戦いに敗れて亡くなった石田三成が旗印に掲げていた言葉と、19世紀のフランスの冒険小説に描かれた銃士たちの合言葉が通じていたとは、うれしくなる発見でした。
ちなみに関ヶ原の戦いの勝者、徳川家康は「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」を旗印としていたそうです。
「戦で命を落としたら極楽にいけるぞ」と兵を駆り立てた言葉とも取れ、こちらに軍配が上ったのは、まさに関ヶ原は「天下分け目の戦い」だったということでしょう。