2023.11.10
日本が日本になったわけ、そしてJapanになったわけ
日本が日本になったわけ、そしてJapanになったわけ
これまでわたしたち日本人の名前、
とくに名字についてさまざまなことを
調べてきた本ブログですが、
きょう、ふと
「わたしたちの国はなぜ日本という名前になったのだろう」
という疑問が湧いてきました。
理由だけではありません。
日本はいつから
「日本」になったのでしょう。
説は三つある
「日本」という名前になったのはいつからか、
という疑問については、
説が三つあるようです。
1.大化改新(646年)頃には「日本」と書いて「ひのもと」と読んでいたのではないか、という、江戸時代の国学者・本居宣長(1730〜1801年)の説
2.天武天皇の治世(672〜686年)に飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)という法典のなかに「日本」という国名が表記されているといわれているが、現存していないため定かではない
3.「令義解(りょうのぎげ・833年)」という書物に、701年に制定された「大宝律令(たいほうりつりょう)」の解説があります。
そこに「日本天皇」という記述があることから、
大宝律令が制定される前後から
「日本」という国名が使われていたという説。
三つの説をまとめてみると、
7世紀の半ばから8世紀の始め頃までには
「日本」という名前が使われるようになったようですね。
「倭の国」と呼んだのは中国
日本が「日本」になる前、
中国は日本のことを「倭(わ)」と呼んでいました。
我が国でも、
当初は呼ばれるままに使っていたのですが、
日本で漢字についての知識が広まっていくなかで、
「倭」という漢字には、
「おとろえる」
「従順」
「背中が曲がって背の低い人」
などの意味があることがわかり、
国名にはふさわしくないと
考えるようになっていったようです。
そして聖徳太子(574〜622年)は607年、
遣隋使となった小野妹子に
「日出処天子至書日没処天子恙無」
という国書を託し、
隋の皇帝に送りました。
「日が出るところの天子」
つまり推古天皇が
「日が没するところの天子」
つまり隋の皇帝である煬帝に
書を送りますがよろしいですね、
という意味でした。
これに対し煬帝は、
「天子」と名乗れるのは中国の皇帝だけ、
倭の国のような小国の王が
「天子」を自称するとはなにごと、
と立腹したといわれていますが、
それは後世に脚色されたものという説もあるようです。
聖徳太子が、大国である隋に対し、
対等なつきあいを求める気持ちを込めた文書であることは
確かのようです。
書いた聖徳太子はさすが大胆ですが、
直接煬帝に会って手渡した小野妹子は
さぞやどきどきしたことでしょう。
そしてこの「日出処」
つまり「日の本」が由来となって
「日本」という国名になったのだろうと
中国の歴史書にも記されているそうです。
ちなみに筆者の世代ですと、
山岸涼子の描いた少女漫画『日出処の天子』を
思い出さずにはいられません。
主人公はのちに聖徳太子となる厩戸王子でした。
「Japan」と呼ばれるのはなぜ?
「日本」の由来はわかりましたが、
諸外国では「Nihon」とも「Nippon」とも呼ばれず,
英語の「Japan」がほぼ世界的に
通用しているのはなぜなのでしょう。
日本はいつから「Japan」と
呼ばれているのでしょうか。
一説には、マルコ・ポーロが
『東方見聞録』のなかで、
日本を「Zipangu」
または「Cipangu」と書いたことから、
だそうです。
発音は「ジパング」。
マルコ・ポーロは日本には実際にはきておらず、
中国人に日本のことを聞いて書いたため、
当時の中国の漢音という読みかたで
「日本」を「じっぽん」と発音したのを書き起こして
「ジパング」となったのだとか。
また別の説として、
中国のある地方では
「日本」を「ズーペン」と発音していたので、
そこから「ジャパン」となった、
というものもあるそうです。
いずれにしても「ニホン」「ニッポン」
という本来の読み方は
国外には伝わらなかったわけですね。
どちらが正式な読み方なのか
ところで「日本」の読み方は
「にほん」とも「にっぽん」、
どちらが正式なのでしょうか。
筆者は「にほん」と読むことのほうが
多いように思いますが、
文脈によっては「にっぽん」と
読んでいることもあります。
正しい読み方といえばNHKということなのか、
NHK放送局には
「ニホンなんですか、それともニッポンなんですか」
という問い合わせが多く寄せられるそうです。
歴史的には、
昭和9(1934)年に「ニッポン」
に統一しようという動きがありましたが、
和語としては「ニホン」がふさわしいという意見もあり、
結論は出ませんでした。
昭和45(1970)にも万国博覧会を契機として
「ニッポン」と読もうという議論が国会でなされましたが、
やはり先送りとなりました。
そして平成21(2009)年、
内閣総理大臣が国会で
「ニホンとニッポン、
どちらかに統一する必要はないと考えている」
と答弁、現在に至ります。
「国号」である「日本」の読み方が二通りあり、
どちらで読んでもよい、というのは、
まさに、ニホンらしいというべきか、
ニッポンらしいというべきか。
国民一人一人に読むつど選択の自由がある、
という意味では望ましいことなのかも知れませんね。