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2021.08.04
日本の写真とカメラ『はじめて物語』

仏間で見たご先祖様たちの写真

両親の帰省について、祖父母の家にいくと仏間や茶の間の天井近くに、セピア色になった親族の写真がかかっていて「あれはだれ?」などと聞いた思い出を持っているのは、昭和生まれの証明でしょうか。

ご先祖様方が上のほうから見守っているような、ありがたいけれどちょっと怖くもある古い写真でした。

いまでも地方のお宅訪問のテレビ番組で見かけることがあります。

 

肖像写真や古いアルバムの写真は、ルーツを辿る旅をビジュアルのイメージで豊かに膨らませてくれます。

赤ん坊の母親を抱いて笑顔を見せる若い祖父や、早くに亡くなり会うことのなかった祖母の写真が、家系図のなかの名前はすべて、この世に生を享け伴侶とともにこどもを生み育てて人生をまっとうした人たちのものなのだということを実感させてくれるのです。

 

日本において、写真がそのようにわたしたちの生活に寄り添うようになったのはいつ頃のことなのでしょうか。

そもそも、日本で撮られた最初の写真とは?

歴史の教科書で見て憧れた坂本龍馬や土方歳三の写真を撮ったカメラはどんなもの?

写真やカメラのルーツも知りたくなります。

 

カメラの起源は紀元前に遡る

 カメラの原型は壁に一つの小さな穴を開けた暗い部屋でした。

「カメラ(部屋)・オブスキュラ(暗い)」といい、なんと紀元前にはすでに作られていたといいます。

穴から入った光が反対側の壁にさかさまの像を結ぶのを、部屋に入って見るものでした。

 

時代が下り、カメラ・オブスキュラの部屋は持ち運べるほどのサイズになり、フェルメールなどの画家も絵を描くときに利用するようになりました。

その後、映った景色を手で映すだけでなく、科学的な方法で定着させるための研究が進み、1826年にフランスのニエプスという人が8時間かけて撮影したのが、世界で最初の写真といわれています。

 

1839年には、フランスでダゲール氏によって世界で初めてのカメラが発売されました。

いわゆる銀盤写真(ダゲレオタイプ)を撮るカメラで「ジルー・ダゲレオタイプ」と名付けられています。

 

日本で最初にカメラを手に入れたのは薩摩のお殿様

日本に写真が伝わったのは嘉永元(1848)年。

薩摩藩主・島津斉彬が銀盤写真機材を入手しましたが、実際に撮影に成功するまでには9年の時間を要しました。

 

嘉永5(1852)年アメリカを出港したペリーの艦隊には写真家のエリファット・ブラウンが参加。

嘉永7(1854)年箱館来航のおりに、ダゲレオタイプの写真機を使って松前藩家老の松前勘解由と従者を撮影したのが日本最古の写真の1枚とされています。

 

安政4(1857)年には薩摩藩で藩士市来四郎らが島津斉彬の撮影にようやく成功。

日本人によって初めて撮られた写真となりました。

 

各地に写真館が開かれた幕末時代

日本最初の写真館は安政7(1860)年アメリカ人オリン・フリーマンが横浜に開いたもので、翌年にはフリーマンの機材を購入した鵜飼玉川が江戸薬研堀で日本人として初めての写真館主となりました。

 

坂本龍馬の有名な写真は、日本写真の祖とされる上野彦馬が長崎に開業した上野撮影局で撮られたものです。

上野彦馬は長崎医学伝習所で写真術の研究をし、スイスの写真家ピエール・ロシェから湿式写真を学びました。

 

文久2(1862)年頃に江戸下谷で写真館を開いた島霞谷の妻隆は日本最初の女流写真家でした。

幕末には写真館が日本のあちこちに開かれ、幕末の志士や新撰組をはじめとした侍や、市井の人々の写真が撮られるようになります。

 

明治の写真とカメラの歴史

写真術の研究は、写真機自体にも向けられ、日本でもカメラが作られはじめました。

輸入されたカメラを手本に、指物師がボディを作り、輸入品のレンズをはめた日本製カメラの誕生です。

 

明治7(1874)年には日本初の写真雑誌『脱映夜話』が創刊され、写真ジャーナリズムの先駆けとなりました。

明治9(1876)年、上野の写真館「通天楼」の主人横山松三郎を教官に、陸軍士官学校で写真教育が開始され、横山は明治11(1878)年に日本で最初の空撮を行いました。

さらに明治27(1894)年には日清戦争において、陸地測量部従軍写真班の小倉倹司が乾板の代わりにフィルムを使って撮影しましたが、これが日本初のフィルムによる撮影ではないかといわれています。

 

ちなみに、フィルム以前の乾板はガラスのために重くて割れやすく、新しい素材としてセルロイドが使われるようになっていました。

アメリカ人のイーストマンが創設したイーストマン・コダック社はセルロイドを巻物状にした「ロールフィルム」を発売。

このロールフィルムの誕生が写真を専門家だけのものからアマチュアにも広める契機となりました。

 

日本のカメラの製作も進展し、明治36(1903)年には小西本店(現在のコニカミノルタ)から「チェリー手提暗函」というアマチュア向けのカメラが発売されました。

現代のカメラマニアが手にする一眼レフカメラの先祖は、いま見てもモダンな形をしています。

幕末以来の写真好きカメラ好きの民族

以上、写真が伝わった当初「魂を取られる」などと怖がっていた日本人が、あっという間に写真のとりこになっていった様子を伺い知ることができました。

新し物好きのお殿様や進取の気概に溢れていた幕末の志士たちが写真に魅せられたのも当然のことだったのかも知れません。

 

外国人から学んだ写真術を自分たちのものとし写真館を開業、日本各地で、後の貴重な歴史資料となる写真を撮影した写真館の主人や写真家たち。

彼らが一般の人たちにも肖像写真というものを広めていったわけです。

祖父母の家の先祖や親族の写真のルーツはここにありました。

 

また、世界に名だたる日本の写真機も明治時代に生まれたもの。

いまわたしたちはスマートフォンで毎日手軽に写真を撮っていますが、写真に親しむ遺伝子を明治の人たちから確実に引き継いでいるようです。

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