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2023.09.25
日本人にもっとも愛される花の一つ、菊の節句と菊の紋章

日本人にもっとも愛される花の一つ、菊の節句と菊の紋章

仏壇にそなえたり、お墓参りに持参したり、

葬儀や仏事に欠かすことのできない花といったら、

ですね。

 

ご先祖様方と子孫のわたしたちを、

その気高く清々しい姿と香りでつないでくれています。

 

またパスポートの表紙には菊の紋様、

皇室の御紋も、国会議員のバッジも

 

日本国を表すデザインとしても

菊はわたしたちに馴染み深い花です。

 

今回のブログでは、そんな菊について調べてみました。

 

 

 

若返りと長寿を祈る「菊の節句」

 

古来中国では、奇数は縁起のよい「陽数」

偶数は縁起の悪い「隠数」と考えられていました。

 

陽数の最大値である「9」が重なる

9月9日を「重陽」を呼び、

節句の一つとしたのです。

 

旧暦の9月9日は太陽暦では

10月の中頃にあたり、秋もたけなわ。

 

菊が美しく咲く季節でもあります。

 

中国では菊が邪気を祓い長寿に導く

「霊薬」と信じられていました。

 

ある川の上流に菊がたくさん生えていて、

その根元を流れてくる水を飲んでいた

下流の土地の人たちは、

とても寿命が長かったという伝説があったのだとか。

 

重陽の節句は菊の節句とも呼ばれ、

菊の香りを移した「菊酒」を飲み、

菊を包んだで体を拭くなどして綿で体を拭くなどして、

若返りと長寿を祈ったのだそうです。

 

日本にも重陽の節句とともに

平安時代の初めにその風習が伝わり、

宮中の行事の一つとなりました。

 

菊を眺める「観菊の宴」が催され、

菊を用いた厄払いなどが行われたようです。

 

時代とともに菊の風習は庶民の間にも広がり、

江戸時代には五節句の一つとして

親しまれる行事となりました。

 

 

日本での重陽の節句の行事と行事食

 

重陽の節句にはさまざまな行事があります。

 

観菊の宴の前日には、

菊の花に綿をかぶせて、

翌朝、観菊の宴を前に菊の香りと

朝露を含んだ綿で顔や体を拭いて、

無病息災を祈りました。

 

さぞ清々しく芳しいことだったでしょう。

これを「菊の着せ綿」といいます・

 

また、重陽の節句の日には、

湯船に菊を浮かべた「菊湯」に入ったり、

乾燥させた菊の花びらを詰めた「菊枕」で眠ったりもしました。

 

リラックスや安眠など、

現代のアロマテラピーにも通じる効果があったと思われますが、

当時の人は「菊の香りには邪気を祓う力がある」と信じていたようです。

 

 

「菊合わせ」は大切に育てた菊を持ちより、

その美しさを競う催しです。

現在でも、各地で菊の品評会や鑑賞会が行われています。

 

秋のご飯として親しみのある「栗ご飯」は、

庶民の間に広まった重陽の節句の行事食です。

 

菊を鑑賞しながら「菊酒」を飲むと

長寿になるといわれています。

 

菊酒は蒸した菊の花びらに冷酒を注ぎ、

一晩置いて香りを移して作ります。

 

また「九日(くんち)に茄子を食べると中風にならない

という言い伝えもあります。

 

くんち」とは秋の収穫を祝う秋祭りの総称の一つです。

 

長崎くんち」や「唐津くんち」をご存じかも知れませんね。

 

旧暦9月9日重陽の節句の際に行われた

祭りであることから「くんち」の名前が定着したようです。

 

「中風」とは、

現代でいう脳卒中などの後遺症を指します。

 

昔の人々は、中風にならないように、

重陽の節句には茄子の煮浸しや

焼き茄子などの茄子料理を食べて、

無病息災を祈りました。

 

次の重陽の節句には、

栗ご飯を炊いたり、茄子を焼いたり、

部屋に菊を飾ってみたりするのも秋を楽しむ方法の

一つになるかも知れませんね。

 

 

 

菊をデザインした家紋のいろいろ

 

家紋は本ブログでとくに関心を集めるテーマの一つ。

 

日本の家紋は1万種類以上あるといわれています。

 

家紋のデータベースに「菊」で検索をかけると

411件のヒットがありました。

 

この件数は登録総データ数の3%にあたります。

 

 

菊の花自体だけではなく、

葉をデザインしたものや、

葉を蝶の羽に見立てたもの、

花を鶴の羽根に見立てたものもあります。

 

日本のデザインの豊かさと優れた

美的センスを感じさせる家紋ばかりです。

 

観賞用の菊は奈良時代に中国大陸から伝わったもので、

高貴な美しさを君子にたとえて、

梅、岳、蘭とともに「四君子」と呼ばれていました。

 

平安時代に重陽の節句が宮中の行事とされてからは

菊の模様も吉祥文様として、

好んで装束に用いられたそうです。

 

鎌倉時代に、後鳥羽上皇が菊を好み、

自らの印として愛用したことから、そ

の後の天皇にも継承され、

慣例のうちに菊花紋のなかでも32弁の八重菊紋である

「十六葉八重菊紋」が皇室の紋として定着しました。

 

江戸時代には幕府によって

厳しく使用が制限された葵紋とは対照的に、

菊花紋の使用は自由とされたため、

菊花の図案を用いた和菓子や

仏具などの飾り金具が作られるなど、

各地に広まりました。

 

 

慣例的に使用されている菊花紋章

 

明治に入り「十六葉八重表菊」

太政官布告によって

公式に皇室の紋として定められました。

 

以後「菊の御紋」は時の政府の管理するところとなります。

 

1947(昭和22)年、皇室儀制令は廃止され、

菊花紋章を天皇・皇室の紋章または日本の国章として

定める現行法令はありません。

 

ただ慣例的に、天皇・皇室の紋章として、

また日本の国章に準じる紋章として使われつづけています。

 

 

日本の在外公館の玄関には、

いまも菊花紋章のレリーフが飾られています。

 

日本国発行の旅券の表紙の菊花紋章は「十六一重表菊」

国会議員の議員記章は「十一菊」のデザインだそうです。

 

 

奈良時代に日本にやってきて、

令和の現代に至るまで、

桜などとともに日本を象徴する花でありつづける

 

日本に生まれて生きたご先祖様方に

手向けるのにふさわしい花であることもよく理解できました。 

 

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