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2024.01.22
茶館に始まりカフェに至る 日本の喫茶店文化について

茶館に始まりカフェに至る 日本の喫茶店文化について

 

1990年代にアメリカから

日本に上陸したあるカフェ・チェーンは

自分たちの代名詞として

「サード・プレイス」

という言葉を遣っていました。

 

「ファースト・プレイス」家庭

「セカンド・プレイス」学校職場など。

「サード・プレイス」

上の二つの場所から離れた

居心地のよい場所であるとされています。

 

最初にこの概念を定義したのは

アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグでした。

 

わたしたちの誰もが

もともとこういう場所を

必要としているのではないでしょうか。

 

そのカフェ・チェーンはいまも全国に店舗を構え、

日本の街の風景の一つにもなっています。

 

いや、自分はコーヒーはそんなに好きではない、

会社と家庭の真ん中で立ち寄るのは居酒屋だ、

という人もいらっしゃると思いますが、

今回は日本の喫茶店文化の歴史について、

しばらくお付き合いいただければと思います。

 

 

 

日本で初めてのカフェは総合娯楽施設だった

 

1888(明治21)年4月13日、

日本初のカフェ「可否茶館」が上野で開業します。

 

創業者の鄭永漢

エール大学に留学経験を持つ外務省官吏で、

学校を作りたいと考えていましたが、

当時上流階級の社交場となっていた鹿鳴館に対抗し、

庶民の知的な交流の場を提供するために

カフェ経営を思い立ったそうです。

 

可否茶館には国内外の新聞や書籍が備えられ、

ビリヤード台からシャワー室まであったとか。

 

しかし残念なことに業績は振るわず、

わずか4年で閉店となりました。

 

いっぽう、洋食文化は興隆していて、

カフェはつぎつぎに開店にしていきます。

 

代表的なものでは

「カフェー・プランタン」

1911(明治44)年に銀座で開業。

 

東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)出身の

画家・松山省三が、

美術学校時代の恩師である

黒田清隆から聞いた

パリのカフェのような文人や画家の

サロンとなるような場所を作りたいと

創業したものでした。

 

実際、

カフェー・プランタンの経営を

維持するための会員には

松山の師・黒田清隆をはじめとして

森鴎外、永井荷風、谷崎潤一郎

市川猿之助、鳩山一郎などの

そうそうたるメンバーが名前を連ねていたようです。

 

この年、

銀座には

「カフェー・ライオン」

「カフェー・パウリスタ」

が相次いで開店します。

 

カフェー・ライオン

料理がメインで、

美人女給が多く有名、

カフェー・パウリスタは

「ブラジル移民の父」

と呼ばれる

水野龍が創業した

コーヒー中心の店でした。

 

カフェー・パウリスタ

「銀ブラ」という言葉の元とも

なったといわれています。

 

チェーン店展開した庶民的な店で、

現在も銀座にあります。

 

 

関東大震災後のカフェの様変わり

 

1923(大正11)年9月1日、

マグニチュード7.9の大地震が

関東地方を襲いました。

 

文化人たちの華やかな社交の場となっていた

銀座のカフェーも壊滅的な被害を受けます。

 

閉店したカフェーもあった一方で、

震災後の復興の流れで

個人経営の小さな喫茶店が銀座に急増しました。

 

「カフェー・ライオン」

震災後営業を再開しますが、

1924(大正12)年、

女給のサービスを売りにした

「カフェー・タイガー」

「カフェー・ライオン」

の向かいにオープンします。

 

このあたりから

「カフェー」には

コーヒーや料理よりも

女給目当ての客が集まるようになり、

サービスもエスカレート。

 

ついには風紀上に問題ありとして

警察の取り締まりを受ける店も出てきました。

 

その後銀座には

大阪からカフェーが進出してきて、

店構えや女給たちの装いなど

派手な演出で人気を集めました。

 

1929(昭和4)年頃からは

警察が取り締まりを強化、

洋風の設備があり

女給が接待をする店を

「特殊飲食店」とし

細かい規制を設けました。

 

そして、

酒類を出さずに

女給による接待を行わない店は

「純喫茶」と呼ばれるようになったのです。

 

「純喫茶」の「純」には

そういう意味と歴史があったのですね。

 

 

 

1950年代から喫茶店も復興

 

第二次世界大戦が始まると

コーヒー豆は輸入禁止になり、

喫茶店も営業できない状況になりました。

 

1945(昭和20)年に終戦すると、

復興にともない1950年代には

喫茶店も増加していきます。

 

たとえば、神保町の

「さぼうる」「ラドリオ」

銀座の「銀座ウエスト」

新宿の「名曲喫茶らんぶる」など、

いまも人気のある喫茶店がこの時期に開店しています。

 

家系図ラボの事務所のあるくにたちの

「ロージナ茶房」も1954年の創業だそうです。

 

 

 

音楽とコーヒーの関係は深い

 

また1950年代には

音楽喫茶も広まっていきました。

 

戦前からあった名曲喫茶に加え、

お客さんたちが歌う歌声喫茶

ジャズマニアがひたすら聴き込むジャズ喫茶

ライブが開かれるシャンソン喫茶

ロックファンが集うロック喫茶など、

多種多様な音楽喫茶がありました。

 

筆者の世代が大人になってから

流行ったと思っていた

漫画喫茶いわゆる漫喫も

元祖は名古屋市で1970年代に誕生したのだそうです。

 

名古屋といえば、

豪華なモーニングがつく独特の喫茶文化がありますが、

漫画喫茶も名古屋からだったんですね。

 

 

日本のカフェの誕生は1980年の原宿で

 

いわゆる喫茶店とは異なる

セルフサービスのカフェは、

日本では1980年にドトールコーヒーショップ

一号店を原宿駅前にオープンしたことから始まります。

 

1990年代には外資系のカフェも参入、

2000年代にはカフェブームが起こり、

多様化が進みました。

 

個人経営の喫茶店は少なくなりましたが、

上述の1950年代に開店した数店のような

レトロなカフェには

新しいお客さんが増えつづけています。

 

筆者のように一日最低一回は

カフェか喫茶店でお茶を飲まないと

生きた心地のしないほどの人はともかくとして、

もよりの「サード・プレイス」で、

好みの飲み物とゆっくり過ごすひとときは、

あなたの生活にゆとりと活力を与えてくれることでしょう。

 

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