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2022.07.07
認め印廃止に想う 印章の歴史と文化

役所にハンコを持っていかなくてもよくなった?

婚姻届に判を押す。

離婚届に判を押す。

 

どちらも人生において幾度もない

重要な儀式ともいえる瞬間ですが、

昨年5月に成立したデジタル改革関連法によって、

2021年9月から行政手続きの押印が原則廃止されました。

 

つまり、

婚姻届も離婚届も本人の署名のみで

提出できるようになったのです。

 

しかし「人生の節目」として

押印の存続を望む意見が多く寄せられたため、

法務省は希望する人には引き続き認めることにしたそうです。

 

「廃止されても押したい」

日本人の「ハンコ」への熱き思いが感じられるニュースでした。

 

 

 

正しくは「印章」押したら「印影」

 

 

わたしたちは届出の書類や銀行で押すものを

普通「ハンコ」や「印鑑」といいますが、

どちらも誤用であるようです。

 

まずあれは「ハンコ」「印鑑」ではなく、

正しくは「印章」

 

「印章」を紙に押したときに残る朱肉のあとは「印影」

「印影」を役所や銀行に登録したものが「印鑑」

 

「ハンコ」の語源にはいくつかの説があるようです。

 

江戸時代、

版画に使う板のことを「版行/板行(はんこう)」と

呼んでいたことから「ハンコ」となった。

 

「版行」を遣って書物を印刷することと

印章を押すことが混同されて、

印章のことも「ハンコ」と呼ぶようになった。

 

「判を押すことを行う」という意味の

「判行」が転じて「ハンコ」となった。

 

ちなみに「判子」は当て字だそうです。

 

 

古代メソポタミア文明の「円筒印章」

 

印章の起源をたどると、

なんと紀元前7000年以上前のメソポタミア文明に到達します。

 

「円筒印章」といい、

書簡や容器を封じるための紐を覆った粘土の上に

押し転がして図や文章を写しとったものです。

 

後には粘土板の文書にも使用されるようになりました。

 

紀元前1000年頃になると記録媒体が羊皮紙やパピルスに移り、

楔形文字が使われなくなって円筒印章もその役目を終えたのです。

 

その後、印章はエジプト、ギリシャを経てローマへ。

 

旧約聖書にも印にまつわる記述は複数見られ、

キリスト教文化とともに印章がヨーロッパ全域に広まりました。

 

さらにはシルクロードを運ばれて中国に伝わります。

秦の始皇帝はアジアで初となる印鑑制度である

「官印制度」というものを始めました。

 

 

 

日本最古の印章はやはりあの金印

 

日本に初めて中国から印章がもたらされたのは

後漢王朝時代

 

日本史を学んだ人なら

おそらく誰でも見たことのある

あの「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん」です。

 

一辺2.347cm、つまみまで入れた高さ2,236cm、

体積6.0625㎤、重さ108.729g。

材質は金が95,1%。

 

想像より小さく、また想像より重い印章のようです。

 

発見されたのは、江戸時代天明年間

 

筑前那珂郡志賀島村で、

地元の甚兵衛さんというお百姓が水田から見つけたそうです。

 

金印は郡奉行を介して福岡藩へと渡り、

儒学者亀井南冥

『後漢書』に記述のある金印とはこれのことであると

同定しました。

 

 

漢の光武帝から贈られたのは西暦57年で、

日本ではまだ漢字文化は発達していませんでした。

 

中央が少し窪んだ形状をしており、

紙に押すのではなく封泥用の印と見られ、

持っていることが権力の正当性を表す

一つのシンボルであったと考えられるようです。

 

 

 

大宝律令が定めた印章制度

 

 金印が日本にやってきてから644年経った大宝元(701)年、

大宝律令が制定されました。

 

7世紀後半以降、

東アジアの政治情勢は緊迫しており、

倭国は中央集権化を進めようとしていました。

 

律令のなかには官印、公印を定める印章制度がありました。

 

中国の隋や唐の統治にならったものです。

中国では2世紀後半には上質な紙と朱肉の発明により、

印章の需要が高まり普及していったのです。

 

奈良時代後半になると、

官印に対し私印が作られるようになりました。

 

個人が印章を自分の印として使いはじめたのです。

 

平安時代後期から鎌倉時代にかけて

印章は次第に「花押(かおう)」

取って代わられるようになりました。

 

「花押」とはデザイン化された署名のことで、

現代の「サイン」に近いものです。

 

室町時代になると宋からきた禅宗の僧たちを通じ、

書画への「落款(らっかん)」すなわち印章の習慣が復活、

武家社会に伝播していきました。

 

戦国時代に入り、

花押を書く手間を簡略化するために、

大名の間で略式の署名として印章が用いられるようになりました。

 

 

印鑑登録制度の起源は江戸時代

 

 

江戸時代に入ると行政上の書類だけでなく、

私文書にも印章を押す習慣が広がりました。

 

実印を登録させるための印鑑帳が作られるようになり、

これが後の印鑑登録制度の起源だといえるでしょう。

 

明治政府は、

印章の偏重を悪習ととらえ、

欧米にならって署名の制度を取り入れようとしましたが、

事務の煩雑さや識字率の低さから実現には至りませんでした。

 

明治11(1878)年には、公私にかかわらず、

証書に実印を用いる印影登録制度が発布され、

戸長(現在の区市町村長に相当)によって

町村内の人々の印影簿が管理されるようになりました。

 

現在の印鑑登録制度の始まりです。

 

 

 

新型コロナウイルス感染拡大と印章の関係

 

 

われわれ日本人が愛してやまない印章。

 

漢からもたらされた金印から

数えるなら2000年になんなんとするその文化に、

ウイルス禍によって変化が訪れました。

 

テレワークが推奨されるなか、

会社によっては、

紙の書類への捺印のためだけに

出社しなければならない社員がいることが、

マスメディアなどで取りあげられるようになったのです。

 

 

「ハンコってほんとうに必要なものなのだろうか」

 

いままで面倒でも手続き上なくてはならないものだから、

と従ってきた慣習にクエスチョンマークがついたのかも知れません。

 

冒頭で触れた行政手続きの押印の原則廃止もその流れのなかにあります。

 

 

いずれは電子署名へと移行していくのか、

それとも婚姻届や離婚届には朱肉の印影が残るのか、

はたまた趣味や美術の域で続くのか。

 

印章の文化の今後に興味は尽きないところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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