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2023.07.20
鎌倉時代から現在までつづく家柄「五摂家」について

鎌倉時代から現在までつづく家柄「五摂家」について

 

日本史を学んだ人なら

おそらく聞き覚えがあるでしょう「藤原氏」

 

藤原氏とその一族は、

飛鳥時代に始まり奈良時代、

平安時代と隆盛を極め、

その後も立場を変えながら

一貫して天皇のそば近くに仕えてきました。

 

なかでも鎌倉時代からは

「五摂家(ごせっけ)」と呼ばれる

五つの家系が大きな力を持っていたのです。

 

 

 

藤原氏のはじまりと隆盛

 

藤原氏の歴史は飛鳥時代に遡ります。

 

これも中学の歴史の教科書でおなじみの

「大化の改新」

 

初めのほうだから

とくに記憶に残っていますよね。

 

中大兄皇子が中臣鎌足らと蘇我氏を滅ぼし、

年号を大化と改めて中央集権国家をつくるべく

政治の刷新をしました。

 

 

中大兄皇子は天智天皇となり、

亡くなる前に中臣鎌足に

「藤原」という氏を賜りました。

 

これが「藤原氏」のはじまりです。

 

鎌足の死後藤原家を継いだのが藤原不比等、

その後の三代目で藤原家や四家に分かれました。

 

南家、北家、式家、京家の四つで

これを「藤原四家」と呼びます。

 

そのなかで「北家」が次第に有力となり、

藤原氏嫡流といえば

「北家」を指すようになっていきました。

 

平安中期、藤原道長が娘の彰子を

一条天皇に入内させ皇后とし、

彰子が生んだ皇子をご一条天皇として即位させ

自ら摂政となって政治の実権を握ります。

 

「摂政」とはまだ幼い天皇の代わりに

政治をおこなう役職で、

天皇が成長した後には

「関白」と名前を変えて政治を補佐します。

 

摂政や関白による政治をいわゆる

「摂関政治」といい、

藤原北家はその中心となったのでした。

 

 

 

藤原氏が武士の時代に生き残るための戦略として

 

しかし、その後は上皇による院政が続き、

藤原氏が天皇をしのぐ力は持ちにくくなっていきます。

 

そして武士が台頭し、

公家が政治の表舞台に立つのは難しい時代に。

 

藤原氏の権力を維持するため、

藤原忠通は平清盛の娘を息子の基実に娶り、

平家と姻戚関係を結びます。

 

この藤原基実が

「近衛家」を名乗ったことで、

近衛家が成立。

 

鎌倉時代になると、

藤原氏は摂政・関白の職を独占するため、

後継ぎが途絶えると

分家して摂政・関白になれる家を

増やしていきました。

 

近衛家の次にできたのが九条家

その後近衛家から鷹司(たかつかさ)家

九条家から二条家一条家が分家しました。

 

鎌倉時代末には

これらの摂政・関白になることのできる

五つの家「五摂家」として固定化されたのです。

 

 

 

豊臣秀吉と秀次が「関白」になれたのはなぜ

 

しかし日本史に興味のある方なら

「関白」と聞くと豊臣秀吉を思い出しませんか。

 

豊臣秀吉と甥の秀次は関白になっています。

 

戦国時代末期、

生き残りに必死だった公家方は、

秀吉と秀次を近衛家の名目上の養子ということにして

関白職に就かせました。

 

関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は

関白職ではなく征夷大将軍を後陽成天皇より賜り、

天下統一を果たしました。

 

後陽成天皇武家贔屓で有名だったそうです。

 

1601年、

関白職には五摂家のうちから九条兼孝が就きました。

 

五摂家はここで関白の地位を取り戻し、

それ以降、王政復古によって廃止されるまで

関白は五摂家が務めることとなったのです。

 

 

 

「五摂家」の現当主たち 近衛家

 

それでは時代を一気に

令和の現代まで飛ばしてみましょう。

 

じつは五摂家の血筋は明治以降も続き、

現在も当主の方々がいらっしゃいます。

その筆頭はやはり近衛家

 

 

現当主は第32代当主の近衛忠輝氏です。

 

「日本赤十字社」の名誉社長で

かつては国際赤十字・赤新月社連盟の会長も

務められました。

 

旧熊本藩細川家の現当主で

元首相の細川護煕氏の実弟です。

 

きょうだいの母親である

細川温子(はるこ)さんが近衛家の娘であり、

近衛家の男子が途絶えたために、

忠輝氏が養子に入って後を継いだのでした。

 

母の父である祖父は

昭和12年から16年までに

3回内閣総理大臣を務めた近衛文麿です。

 

 

 

鷹司家と九条家の現当主

 

 

鷹司家の現当主は、第28代当主の鷹司尚武氏。

 

伊勢神宮大宮司、

神宮司庁代表役員を経て、神社本庁統理。

 

旧美濃岩村藩主大旧給松平家より

母方の実家である鷹司家に養子に入りました。

 

 

九条家の現当主は、

第36代当主の九条道成氏です。

 

明治神宮宮司を務めています。

 

現在54歳で、

知られているなかで実在する藤原氏の最末裔の人物です。

 

 

 

二条家と一条家の現当主

 

二条家の現当主は

第30代当主の二条基敬(もとゆき)氏。

神官を務め、実業家でもあります。

祖父の二条斉敬(なりゆき)は最後の関白でした。

 

 

一条家の現当主は

第28代当主の一条實昭氏です。

弁護士をされています。

鷹司尚武氏とは同い年で

学習院時代の盟友だそうです。

 

 

五摂家に現当主が存在し、

令和時代にも

藤原氏の血統が継がれていることは

驚きですね。

 

先祖が明治時代から名字を名乗ったのであろう

一般市民から見るととくに。

 

 

 

藤原氏にはさらに支流が

 

 

藤原氏には五摂家だけではなく、

他にもたくさんの支流の家が存在します。

 

最上位の五摂家に次ぐ位置にあったのが

「清華家」でした。

 

さらに

「大臣家」「羽林家」「名家」「半家」

と公家の家格の序列はつづきます。

 

これらの支流については次回のブログでまたご紹介します。

どうぞお楽しみに。

 

 

 

 

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