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2022.12.07
養子について 家督相続のための制度だった時代からこどものための制度が作られるまで

養子について 家督相続のための制度だった時代からこどものための制度が作られるまで

 

親族関係のなかで「養子」「養親」は大切なものの一つです。

 

とくに、現代のこどもたちが置かれている状況を考えるとき、

我が国の養子制度について知る必要があるでしょう。

 

家系図作成の際にも重要なファクターとなりうる

「養子」について調べてみました。

 

大きくいって「養子」とは

「養子縁組」によって

「養親」「子」となったものを指します。

 

法律上は養親と血の繋がりのあるものとして扱われ、

養親の実子と同じ取り扱いを受けることになります。

 

 

養子の歴史 

 

古代ローマにも養子制度は敷かれており、

皇帝も家督相続のために養子縁組をし、

死後は養子が皇帝に即位したこともありました。

 

日本では古く8世紀から定められた

「戸令(こりょう)」養子制が定められていました。

 

これはお手本とした唐の「唐令」に基づいたもので、

血縁の近い者を養子とすることが定められていましたが、

日本では実情に合わせて広く養子が行われます。

 

とくに武家社会では、

家督継承の養子だけではなく、

養子を取って家を増やすという

一門の発展を図る目的の養子や女子の養子もなされました。

 

実子が幼いときに

「中継ぎ」として養子を迎えることもあったようです。

 

徳川幕府は、

武家に家禄を与えることも奪うことも主君の専断とし、

相続養子も主君の認証を必要とするよう定めました。

 

江戸時代の家督相続養子には、

こどもがない場合の通常の養子のほか、

弟を養子とする「順養子」

娘に婿を取る「婿養子」

臨終にあたって立てる「末期(まつご)養子」がありました。

 

さらには遠国へ旅行するときの急変に備えて

「急養子」「心当(こころあたり)養子」

「仮養子」という

保険的な暫定養子制さえ生じました。

 

幕末に至り、

幕臣が海外へ出向くときには

万が一に備えて「見立(みたて)養子」を立てました。

 

2021年の大河ドラマ

「晴天を衝け」の主人公となった渋沢栄一も、

パリ万国博覧会使節団としてフランスに赴く際に、

従兄弟の渋沢平九郎見立養子としていきます。

 

平九郎は後に幕臣として

彰義隊に加わり20歳で命を落としました。

 

悲劇的結末を迎えた

見立養子の縁組となってしまったわけです。

 

 

 

明治以降の養子制度

 

明治初期の養子についての法制は

江戸時代のそれを受け継ぎ、

養子を迎えることができるのは

戸主相続人に限られていました。

 

家の存続のための養子制度が続いたわけです。

 

明治26(1893)年に施行された民法ではその制限が外され、

個人の養子も認められました。

しかし、婦女が遊里などで労働を搾取されるような

悪用もなされたのでした。

 

富裕な家だけでなく、

一般庶民の養子もっぱら家督継承を目的としていました。

 

こどもがない場合には幼い女子を養女とし、

その後婿養子を取る形が多かったようです。

 

末弟を養子とする「順養子」や、

夫婦ともどもの「両養子(夫婦養子)」

衰退した家を買い取ってそれを継がせる

「買い養子」などの特殊な慣行もありました。

 

また、娘に婿養子を取って

その後に別家させる形や、

幼児を引き取り家内労働に従事させる

奉公人としての養子の形も行われていました。

 

これは家の「継承」ではなく

家の「経営」を目的とするものであり、

法的な養子縁組には当たりませんでした。

 

 

 

家のための養子から子のための養子へ、養子制度の発展

 

諸外国では、

近代に入り家の存続のための養子が次第に衰微し、

代わって子のない親の「子を持ちたい」という願望を満たすためや、

家内労働に従事させるため、

また親の老後のためなどに養子制度が利用されていました。

 

しかし、第一次世界大戦で孤児となったり、

私生児として生まれたりしたこどもが多数に及んだため、

恵まれないこどもたちを

家庭環境のもとで健康に育てる手段としての

養子制度が注目されるに至りました。

 

第二次世界大戦後にはその必要性がさらに高まり、

1960年代以降は各国で新しい養子法の整備が進んだのです。

 

わが国では、

第二次世界大戦後に未成年の養子縁組については

家庭裁判所の認可が必要となりましたが、

養子の大半は成年であり、

諸外国のような養子法の発展はいまだ見られませんでした。

 

それでも昭和62(1987)年に至り養子法が改正され、

それまでの養子法とはまったく異なる

「特別養子」の制度が新設されました。

 

あわせて従来の養子は

「普通養子」と呼ばれるようになります。

 

 

 

特別養子縁組とは

 

普通養子縁組では、

養親と養子双方に制限が少なく、

養子が成年に達している場合は

養親と養子の同意によって成立します。

 

養子が未成年の場合は

「養子縁組許可」を求める審判を

家庭裁判所に申し立てなければなりません。

 

普通養子縁組では、

養子になっても実父母との関係は残り、

戸籍には実父母の名前が記載され、

養親との続柄「養子(または養女)」と記されます。

 

いっぽう、

特別養子縁組では養子になると

実父母との関係は終了します。

 

戸籍に実親の名前が記載されることはなく、

養親と養子の続柄は「長男」「長女」のように

実子の場合と同様に記されます。

 

養親は原則25歳以上で配偶者がいること、

養子は15歳歳未満であること、

縁組が成立する前に6か月以上同居して

養育する監護期間を考慮する、

といった要件があります。

 

我が国にあって生みの親のもとで育つことのできないこどもは、

現在4万人を超えるともいわれています。

 

特別養子縁組の制度が

こどもたちを温かく育む方法の一つとして

役立つことを願ってやみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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